YAMANOKOTOBUKI STORY

貴醸酒 燦寿の息吹

5月12日 燦寿の息吹.JPG


貴醸酒とは・・・

現在の日本酒が米・米麹・水を原料にするのに対して、米・米麹・清酒を原料として発酵させてできるお酒です。
平安時代に造られていたお酒を現代によみがえらせたものです。

平安時代といえば「太宰府(菅原道真)」です。

道真公は清公(きよきみ)公、是善(これよし)公と続く文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれました。

母は、少納言伴(大伴)氏の出身です。わずか5歳で和歌を詠み、10歳を過ぎて漢詩を創作し、神童と称されました。

18歳で文章生、23歳で文章得業生、26歳でついに方略式に合格し、30歳の頃、島田宣来子を妻に迎え、33歳で式部少輔、文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。一時、讃岐守という地方官へまわされましたが、そこで、むしろ慈父のごとき善政を行い住民に慕われたのです。京へ戻ると宇多天皇の厚い信任を受け、蔵人頭などの政治の中心で活躍しました。50歳の時には、唐の国情不安と文化の衰退を理由に遣唐使停止を建議し、中国に渡ることはありませんでした。そして、55歳で右大臣、そして、ついに、延喜元年1月7日、藤原時平とともに従二位に叙せられましたが、その直後、急転して大宰府左遷となりました。

 大宰府では、左遷というより配流に近い窮迫の日々を送りながらも、天を怨まず国家の安泰と天皇さまの御平安をお祈りし、ひたすら謹慎され、配所から一歩も出ることはなかったようです。劣悪の環境のなかで健康を損ない、道真公を京で待っているはずの夫人の死去の知らせが届くと、ますます病は重くなり、延喜3年(903)2月25日、白梅の花びらが散るように亡くなったのです。

私がここで注目したいのが延喜という年代です。
「燦寿の息吹」(貴醸酒)は延喜の時代にかかれた「延喜式」という書からひろい上げてつくったものです。

もしかしたらこの「延喜式」という書を九州に運んできてくれたのは菅原道真公だったのではないかな?と思っています。

きっと道真公も都への思いをはせながら「燦寿の息吹(貴醸酒)」を飲んでいたのではないでしょうか・・・



貴醸酒 燦寿の息吹コラム


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posted by いくよ at 13:38 | Comment(0) | 商品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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